おまん小豆が誕生したおまん伝説
倶利迦羅不動寺にひっそりと建つおまん伝説の「おまん地蔵」
倶利迦羅不動寺にひっそりと建つ「おまん地蔵」

 津幡町倶利伽羅地区の北横根区に、町おこしに一役買っている津幡町特産「おまん小豆の里」のモニュメントが建っています。おまん小豆が自生する同区など小矢部市との県境の山間部では、小豆の名の由来となった『おまん伝説が残っています。
 藩政期に西砺波郡埴生村のため池「埴生の大池」の堤防が崩れて、付近の田んぼが水没し、家まで流される大災害が相次ぎました。当時、埴生村大字綾子村の村役だった八十嶋家のお手伝いとして働いていたおまんという娘が、この決壊を食い止めようと、堤防工事で人柱(ひとばしら=工事の無事を祈るため、建造物の基礎に生贄として埋められる人)となりました。以来、決壊はなくなり、無事に米が収穫できるようになりました。おまんが生前に腰にぶら下げていた籠から小豆が落ちて大池の縁に自生し、農民たちはこの小豆に娘の姿を重ね合わせ、感謝を込めて「おまん小豆」と呼ぶようになったといわれています。

 倶利迦羅不動寺境内には、おまんを偲(しの)ぶ地蔵が安置されています。同境内からはるか下に望むおまん池(埴生大池)は、不動寺の雪解け水が溜まってできたといわれています。
 「おまん小豆の会」会員の中多弘氏は、八十嶋家の子孫なんだそうです。彼は、おまん小豆の特産化に向けた商品開発に欠かせない収穫量確保のため、栽培に適した寒暖差の大きい中山間地で、良質なおまん小豆の生産量拡大に尽力しています。

津幡町観光ガイド公式サイト「おまん伝説」より引用)


小豆の名の由来となった『おまん伝説』
小豆の名の由来となった『おまん伝説』
津幡町特産「おまん小豆」の専門店『おまん茶屋』

〒929-0327

石川県河北郡津幡町庄イ21-3

TEL:080-1952-4697(寺西)

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